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株式会社インターネットイニシアティブ 代表取締役会長 鈴木幸一
今なら「すし詰め教室」というのだろうか。すし詰め教室という言葉も、すでに死語になっているようだ。戦後すぐに生まれた私たちの世代は、小学校に入学すると1クラス60人ほどだった。クラスにはいつも「鈴木」という名字の同級生が4、5人はいて、姓で呼ばれることはなく、教師は幸一君で、クラスメートは「幸ちゃん」だった。
どこの戦後でも、戦死者を補うように、たくさんの子どもが生まれるという。そんな時代だった。久し振りにベトナムを訪ねた折に「近々、ベトナムの人口も一億人になります」と言われて、生命力の強さに感動したことがある。バイクが行き交う道路、市場、飲み屋、どこに行っても若者が溢れている。ベトナム戦争が終わって、ほぼ40年を経ているのだ。あの戦いに生き残った人たちの子どもが、溢れるような今の若者たちなのである。
若い頃、10年ほどは生産工場で仕事をすることが多かったのだが、当時はモノづくりの産業において日本が世界を圧倒し始めた頃だった。「安かろう、悪かろう」から、戦後生まれの若者の働きによって、「高信頼性、高品質、低価格」の評判を得て、モノづくりの象徴ともいえる自動車産業でも、世界から日本の生産方式を学びに来る時代になっていた。
あっという間に、夜明けが遅くなった。4時前に目覚めて、珈琲を淹れ、煙草を吸いながら、眠りの膜が消えていくのを、ぼんやりとテーブルに頬杖をつきながら待つのだが、窓の外はなかなか明るさが広がらない。室内の照明のあかりが窓硝子に反射するだけである。ついでに、自分の顔が鏡のように窓硝子に映る。突然、見慣れないものを見せられたようで、眼を逸らす。久し振りに友人と会うと、すぐに「歳をとったなぁ」と、不躾な言葉をかけては、「鈴木さんも」と返されるのだが、最近は髭を剃る時ですら、鏡を見ずに剃る習慣になって、自分の顔はできるだけ見ないようにしている。歳をとれば、年齢なりの顔になるのは当然なのだが、あえて確認するのを避けているのかも知れない。
「中国製のPCサーバにしていいですか。日本製と比較すると、価格は半分、性能もいい。バックボーンルータではないし、顧客の要望でもあるので」。
珈琲を飲みほしても、なかなか目覚めない頭に、前日、エンジニアとの会議でそんな要望が出て、了解したことが浮かぶ。膨大な人口を抱える中国に工場をつくり、コストの削減を図っていた時代から次のステージに移っているのである。21世紀においてITこそ産業のエンジンであることは、世界共通の認識である。インターネットを支える基幹となる機器類で、いずれ日本の代表的な企業が次々と脱落していくことは、すでによく知られた事実なのだが、ストレージやコアルータも米国製から中国製に代替されていくに違いない。中国の勢いを見ていると、ジャパン・アズ・ナンバーワンともてはやされていた頃、工場で過ごした時代を思い出しては、夜明け前のテーブルでぼんやりと煙草をふかし続ける。トランプが大統領になったからといって、世界の製造業は中国がその中心になる流れは止めることができない。しかし、IT産業において最も利益を生むのは、ソフトウェアと仕組みそのものを制している米国である。さて、日本はというところで、朝の散歩に出た。
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