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IIJ.news Vol.190 October 2025
生成AIの劇的な進化を受けて、私たち“人間”の本領が問われている。今回は、AIと人間の相違・共生について考える。
IIJ 非常勤顧問 株式会社パロンゴ監査役、その他ICT関連企業のアドバイザー等を兼務
浅羽 登志也
平日は主に企業経営支援、研修講師、執筆活動など。土日は米と野菜作り。
2025年7月14日、 LINEヤフーは、全従業員約1万1000人に業務で生成AIの活用を義務付けたと発表しました。生成AIを100パーセント活用することで、3年間で業務生産性を2倍にし、継続的なイノベーション創出を目指すのだそうです。例えば、議事録の自動作成、問い合わせ対応の要約、企画書のたたき台づくりなど、社内のあらゆる業務に生成AIを組み込むことで、社員が人間として“本来の仕事”に集中できるようにする、とのことです。
AIの時代が本格的に始まった──そんな印象を抱かされる記事でした。生産性を上げる、すなわち「より速く」「より効率的に」という流れが、AIの発展にともなって、これまでとは少し違うレベルで加速しそうな予感がします。
では、そんな時代になった時、人の“本来の仕事”として、いったい何が残るのでしょう? 人間はどう転んでもAIのようなスピードで仕事を進めることはできません。ならば、そういう仕事はどんどんAIに任せて、スピード重視ではできないような、じっくりと時間をかけてやるべきことに集中するしかないのでは? と元来、怠け者の筆者は思ってしまいます。
生成AIによって反復的な業務や言語処理が効率化されるなか、人間はより創造的な仕事や、判断を要する仕事に向かうことが期待されています。そうであれば、「創造」や「判断」とはどういうプロセスなのかを、改めて考えておく必要があるのではないでしょうか。
AIの「速い」推論は、既知の課題を「処理」するのには向いています。ですが、未知の課題に向き合い、さまざまな視点から問いを立て、そこから新たな「価値を生み出す」ような思考には、むしろ一見無駄に思える、人間の「遅い」推論が欠かせないのではないかと感じます。例えば、ふとした散歩の途中で得た着想、雑談のなかで残った言葉の引っかかり、関係なさそうに思えた本の一節──そういった“脇道”から、全く新しいアイデアを生み出すことこそ、必ずしも効率性重視ではない、人間の「遅い」推論が得意とするところなのではないかと思います。
「創造」とは、何もないところから何かを生み出すというより、異なる文脈からのアナロジー(類推)により生まれるものだと筆者は考えています。以前、本連載でも紹介しましたが、チキンラーメンを発明した安藤百福は、天ぷらを揚げている奥さんを見て、「油で揚げれば麺の水分が飛ぶ」とひらめき、「瞬間油熱乾燥法」の考案にたどり着いたそうです。また、ヘンリー・フォードが自動車の組み立てラインを思いついたのは、豚肉の解体工場を見学したことがキッカケでした。豚を解体するライン作業を「逆に動かす」という発想を得て、自動車を効率よく組み立てる大量生産方式を思いついたのです。このように、他領域からの「類推」や「視点をずらす」ことで、思いもよらない革新が生まれることがあるのです。また、ポストイットのように、強力な接着剤の開発に失敗して、弱い接着剤ができてしまった時に発想を逆転して、簡単に剥がせる付箋を作ることを思いついたという例もあります。そういった発想は、常に何かに追いたてられている状態からはなかなか生まれません。考える時間に余白があり、むしろ、スローに物事を見つめることができた時、ふと意識に現れてくるのではないでしょうか。
創造には「関係性」を見つけ直す力が欠かせません。グラフィックデザイナーの杉浦康平さんの「アジアンデザイン」は、西欧のモダニズム的なデザインがしばしば「要素を削ぎ落とすことで本質を際立たせる」アプローチをとるのに対し、むしろ多様な要素を重ね合わせて、そのあいだに流れる関係性やリズムに深く配慮するという、異なる美意識に立脚しています。彼のデザインは、削るのではなく、「響き合わせる」「編み込む」「共鳴させる」といった発想が貫かれており、アジア的な宇宙観や時間感覚にも通底しています。
目に見える対象の中身だけを見るのではなく、周囲との響き合い、背景との呼応、空気の層にまで気を配る──そういった身体感覚をともなった対象と向き合うことは、AIにはまだまだむずかしい領域です。民藝の世界、あるいは農業や発酵の営みにおいても、スローな時間のなかで素材と素材、人と人、環境と身体との関係性がゆっくり醸成されていくことに重きが置かれています。
このように、仮にAIが提案する答えが「無駄を削ぎ落とし」た「最短距離」をいくものであっても、それは既存の枠組みにおける話であって、私たち人間は、時には遠回りしたり、スローな時間を過ごすなかで、遊び心のようなものを持てた時に気づきを得て、新たな価値観や枠組みを紡ぎ出すことができるのです。
AIの凄さは、スピードと精度です。大量の情報を高速で処理し、論理的な応答を次々と生成する。しかし一方で、あえて「意味がわからないこと」や「すぐにはつながらないこと」に耐える“鈍さ”は、AIがまだ持っていない力だと言えます。人間は、意味が通らない事態に至って、立ち止まり、考え直し、別の視点を持ち出します。そこに、新たな発見のキッカケが潜んでいることがあるからです。文化人類学者のレヴィ=ストロースが提唱した「ブリコラージュ」 ──目的はわからないけれど、とりあえず手元に持っておいたものを、後々何かと組み合わせることで役に立てる、という活動もまた、AIが苦手とする領域です。そこでは、完璧な設計図よりも、「なんとなく役立ちそうだ」といった“直感”が頼りになります。これこそまさに人間の知恵のかたちなのではないでしょうか。
ヤフーの「生産性2倍」というニュースは、たしかに魅力的ですし、AIの進化がもたらす恩恵を活かすことは、現代のビジネスにおいて不可欠でもあります。けれど同時に、生産性では測れない価値、速さでは辿りつけない気づき、正確さだけでは紡ぎ出せない関係性──そういったことこそ、これからの時代において、人間の仕事を支える土台になるということを、私たちは改めて思い出す必要があるでしょう。
スローであること、すぐに答えを出さないで、立ち止まり、寄り道をし、迷うこと。そういった営みのなかに、人間の“創造性”という火種が息づいているように思えてなりません。そう信じながら、毎朝、田んぼの草を抜く日々が続いています。「ああ、めんどくさい!」「これこそAIを搭載したロボットにやって欲しいことなんだけど……」と思っても、効率性重視のAIがこんな泥臭い作業をやってくれるはずもないでしょうが。
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