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IIJ.news Vol.185 December 2024
軍事目的で開発されたインターネットが、今や文化の橋渡し役を担っている。
今回は、相反する二面性を備えた“文明の利器”の使い道について考える。
IIJ 非常勤顧問 株式会社パロンゴ監査役、その他ICT関連企業のアドバイザー等を兼務
浅羽 登志也
平日は主に企業経営支援、研修講師、執筆活動など。土日は米と野菜作り。
少し前に「ボカンテ」というバンドを知りました。多国籍のメンバーで構成され、日本人のパーカッショニストが参加していることから興味を持ったのですが、その魅力は旋律やリズムの不思議さ、そしてクレオール語という特殊な言語で歌われている点にあります。
クレオール語とは、植民地時代に異なる言語を持つ宗主国と現地住民が意思疎通を図るために生まれた仮の言葉が、次の世代で洗練され、新しい言語へと進化したものを指します。ボカンテが使うカリブ海のクレオール語は、フランス語と現地語が融合した言語です。この背景には、19世紀初頭にフランス領ルイジアナをナポレオンがアメリカに売却した際、取り残されたフランス系移民たちが現地の文化とフランスの文化を混ぜ合わせて、新たな文化を生み出した歴史があります。
こうした多様性の象徴ともいえる音楽が注目されるようになったのは、インターネットが世界中をつなぎ、異なる文化の融合を可能にしたからかもしれません。
現代社会において、インターネットの存在はもはや欠かせません。その起源は1960年代、アメリカ国防総省が研究したARPAnetに遡ります。注目すべきは、その設計思想です。敵に攻撃されると機能が停止してしまう集中型ネットワークに代わって、自律・分散的に動作するネットワークが構想されたのです。この技術は、攻撃への耐性を持つ一方、のちに世界中のネットワークを相互に接続し、1つのインターネットへと進化する基盤を作りました。
興味深いのは、このネットワークが「分断」と「融合」という二面性を持つことです。当初は戦争を想定し、自国内の通信が分断されないように設計されたものが、最終的には異なる文化や地域をつなぐ道具へと転じたのです。この変化は、クレオール音楽やジャズを誕生させた「分断が融合を生む」という“矛盾”にも通じているように感じます。ある意味、弁証法的解決により、さらに大きな価値が生まれた、と見ることもできるかもしれません。
音楽が文化の壁を越えて新たな価値を生み出してきたように、インターネットも文化の融合を可能にする力を持っています。例えば、YouTubeやSpotifyなどのプラットフォームは、人々に世界中の音楽を届けました。これにより、アフリカの伝統音楽とヨーロッパのエレクトロニカが交わり、新しい音楽ジャンルが誕生するなど、従来では考えられなかったコラボレーションが実現しています。以前この連載にも登場した、筆者の推しのギタリスト君も、最近では世界的なYouTuberに成長すると同時に、ミュージシャンとしても海外から注目され、現地公演に呼ばれるようになりました。そしてなんと来年1月には、丸の内のコットンクラブに出演するというのですから驚きです! いつかニューヨークに連れて行ってもらうのが夢なのですが、意外とすぐ実現しちゃいそうな勢いです。
他方、インターネットには「分断を助長する」側面もあります。SNSやオンラインフォーラムは人々をつなげる一方、意見の対立を深刻化させたり、フェイクニュースやプロパガンダを拡散する場として利用されることもあります。記憶に新しいところでは、アメリカのドナルド・トランプ前大統領がSNSを巧みに利用して、再び大統領選に勝利しました。彼の戦略は支持者を結束させましたが、反対勢力との分断を深める結果も生じさせました。
この事例は、インターネットが単なる情報の伝達手段ではなく、大きな政治的影響力を持つことを示しています。そして、その影響力がプラスにもマイナスにも働く可能性があることを私たちに教えてくれます。トランプ前大統領の成功は、インターネットが人々をつなげる道具としての役割を果たす一方、分断を助長する武器にもなり得るという“二面性”を浮き彫りにした象徴的な例と言えるでしょう。
このようにインターネットは融合を可能にすると同時に、分断を助長するリスクも持ち合わせています。SNSの影響力は音楽と異なり、しばしば政治的な意図をともなって利用されます。これは、ジャズやクレオール音楽の誕生の背景に、完全には解消されなかった分断や差別があった状況とも重なっているのでしょうか。融合が進む一方で分断が根強く残る現実が、インターネットの大きな課題として浮かび上がってきます。
それでもインターネットは「融合」の方向へ導く可能性を大いに秘めています。分散型ネットワークの設計思想が、文化や価値観の多様性を受け入れる柔軟性を持っているからです。世界中に広がったこのネットワークを、人々をつなぎ合わせる道具として活用できれば、未来は大きく変わるのではないかと、脳天気な筆者は考えてしまいます。
例えば、国際的なオンライン教育やアートのコラボレーションは、異文化間の理解を深める一助となりますし、音楽がインターネットを通じて広がり、新しいジャンルやアイデアを生み出すこともあります。このようにテクノロジーは分断された社会や文化を再びつなぎ合わせる可能性を持っているはずです。
インターネットも音楽も分断のなかから生まれながら、融合を実現する道具となっています。それは人間の本質を映し出す存在と言えるかもしれません。私たちは分断と争いを繰り返しながらも、それを乗り越えてつながりを求める力を持っています。そしてその繰り返しが、われわれを新たなステージへ押し上げてきました。分断したまま止まっていてはいけないということなのでしょう。
これからの時代、インターネットを「融合のためのネットワーク」として使うことができるかどうかは、私たちにかかっています。音楽が世界中の人々の心をつないできたように、インターネットも同じ力を発揮できる可能性を秘めています。いったんは分断され、対立が続いていたとしても、なんらかの弁証法的な解決を与えて、分断を超克し、新たな未来に進んでいく必要があります。
ちなみに、ボカンテとはクレオール語で「交流」を意味するそうです。仮に国家や社会が分断されてしまっても、人と人の交流は止めてはならないのだと思います。そのためにこそインターネットは力を発揮するのではないかと改めて感じました。
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