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ぷろろーぐ こんぴゅーた

IIJ.news Vol.185 December 2024

株式会社インターネットイニシアティブ
代表取締役 会長執行役員 鈴木幸一

初めてコンピュータを眺めたのは、60年以上も昔、高校生になったばかりの頃だった。化学系企業の広い講堂のような空間に、日本ユニバックの汎用コンピュータが置かれていて、そこは静まり返った別空間だった。

大きな空間に鎮座していたコンピュータの性能は、スマホに慣れた若い世代に話すと、笑われてしまうようなものだったが、その大きな装置は、私にとって神殿を仰ぎ見るような存在だった。AI、人工知能という言葉を知ったのも、同じ頃だった。

毎日、高校をさぼっては、授業が終わるまで、上野や都心を徘徊していたのだが、その埋め合わせをしようという意識がどこかにあったのか、夜明け前には目を覚まし、机に向かっていた。「ケネディ大統領が撃たれた」――ラジオでそのニュースを耳にしたのも、夜明け前だった気がする。その後、漠然とした不安感に襲われて、暗い気分のまま高校生活を終え、すぐに実家を離れた。

それまで、まあまあ優等生だった私が、なぜ、高校1年生の夏休みを機に、授業に出席せず、訳もなく街をうろついて過ごすようになったのか、振り返って考えてみることもあるのだが、いまだにわからない。そんな日々だったことしか思い起こせない。

社会人になってからも、軌道を外れていたはずが、そんな意識もなく暮らしていたのは不思議なことだ。大学を卒業したあと、就職もせず、アルバイトで暮らしていたのが、秋口になって就職をしなくてはまずい状況になった。新聞の求人欄を見ていると、「EDP研究員募集」という大きな文字が目に入り、当時、日本では有数だったコンサルティング会社に就職し、10年ほど働いた。ただし、その会社での私の評判は、仕事はともかく、「奇人、変人」という有り難くないものだったらしい。

その間、遊びや仕事、暮らし向きに、あまり不安を持たずに済んだのは、高校時代に眺めたコンピュータへの関心を持ち続けていたからかも知れない。コンピュータリゼーションの時代が長く続いたのである。

戦前、戦争に備えて生産部門の専門家を集めて創立されたというコンサルティング会社は、コンピュータを利用して、無人化などにより、製造部門をいかに変えていくのかというのが、ビジネスの中心となるはずであったが、コンピュータの専門家が少ないという焦りもあり、さしたる知見もなかった私のような人間を採用してくれたのである。

集団就職に始まって、日本の高度成長期に製造部門である工場を支えたのは、コンピュータリゼーションでもあった。その象徴として、かつては1つの組み立てラインに数百人もの女子工員さんがとりついていたが、ある時期から一気に自動化が進み、その姿をほとんど見なくなった。

さて、AIである。インターネットという20世紀最後の巨大な技術革新は、コンピュータシステムそのものを大きく革新する。その構築費用には、ひっ迫する技術者の数も考えると、AIという昔からあるコンセプトをなんとか使えないのかというのが、将来にわたる大きなテーマになっているのである。


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