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ぷろろーぐ 暗い森

IIJ.news Vol.183 August 2024

株式会社インターネットイニシアティブ
代表取締役 会長執行役員 鈴木幸一

「若い頃は」とか「あの頃は」という言葉が、枕詞になるようになったら、現役を退く時期だと、何十年も昔から口癖にしてきた。

この夏、年齢を省みず、6月末から8月にかけて3回ほど、欧州へ出張する。32年前にIIJを始めてから10年くらいは、今夜はどこで眠るのだろうかと、自分の居場所すら考えてしまうほど、過激な出張を繰り返していた。当時と比べるなど考えようもないのだが、今年の出張回数・出張先は、自らの年齢をまったく考慮しない、過酷なスケジュールになっている。ロシア上空を飛べなくなって、欧州への飛行時間が長くなり、疲労度は増すばかりである。にもかかわらず、出張に疲れて油断をすると、つい「昔は……」といった言葉が出そうになる。

出張のうちひとつは、IIJの事業に関わる仕事ではなく、プライベートな旅として括られる。「生涯の道楽」と揶揄されている「東京・春・音楽祭」に関わるもので、先週末(7月中旬)から続いているドイツ、ポーランドへの旅である。

今朝の東京の気温は37度を越しているというメールが来ているのだが、私が滞在しているワーグナーの聖地バイロイトの朝方の気温は20度前後である。毎年、暑くはなっているが、今年は涼しい。音楽祭が始まる前の週に、今夏の音楽祭で演奏される演目が、関係者等を招いて「ゲネプロ」という形で披露される。本番はタキシード姿の、畏まった服装で劇場に集まるのだが、開幕前のバイロイト祝祭劇場はジーンズとラフなシャツでいい。そして数日、ワーグナー漬けになるのだ。

午後3時頃に劇場に行き、関係者と話などをして、演奏の終わる夜10時まで劇場に留まる。昨夜はワーグナー最後の作品である「パルジファル」だった。

「パルジファル」は、姦計の誘惑に負け、腹部からの流血が止まらない不治の病に苦しむ王を、無垢な青年パルジファルが救うという話だが、ワーグナーの音楽は奥深く、限りなく美しい。毎年、聴いているが、今年は、長引いている欧州の深刻な状況に耳目を奪われ続けているせいか、「パルジファル」という作品は、崩壊の危機に瀕していると思えるヨーロッパ文明の救済を訴えているのではないか――音が消え、劇場の外に出て、夏の暗い森を歩き始めると、そんな思いに包まれた。

ドイツの田舎では、日曜日はどこに行っても店が閉じていて、静寂な空間が広がっている。軽い食事がとれる店も全て閉じている。部屋に戻り、手元にあったパンを齧りながら、ワインを1、2杯、口にしただけで、横になる。浅い眠りに身を委ねていると、昔のよしなしごとが次々と頭に浮かんできた。

1992年にIIJを創業し、初期の10年ほどは次々と新しいアイデアを出しては実現しようとしたのだが、その多くは誰の理解も得られず、成功しなかった。そして15年以上も経た頃に、他の事業者が手際よく立ち上げていった。時期が早過ぎた、理解を得るのが下手だったなど、成功しなかった要因は容易に考えられるが、折に触れて、残念な思いが鮮烈な記憶として脳裏をよぎってしまう。思い出しても仕方のないことなのだが。


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